私の人生プロローグ①子供の頃から大人になり失敗するまでを振り返る

今の私

今は、西暦2022年の令和4年と言う時代。

私の年齢は50歳なり自分で決めている生涯は、「80歳まで生きたい。」

それまでにしたいことや、理想や夢はあった。

それでも、年を追うごとに夢や理想は、 1つ1つ崩れていった。

そこで、今年50歳になる節目にブログを書いて人生を振り返ることにしました。

子供の頃の私

幼少期の10代までや、青年期の20代前半までは、真面目な方だったと思う。

父親を早くに亡くして、母親、姉、妹の4人家族だった私は、女3人男1人という生活を、小学4年から20代前半までを一緒に過ごしていたからだと思います。

子供の頃は、アニメ、特撮、ゲーム好きでした。

特にファミコンが出た頃には、完全にゲーマーになり、アニメオタクになっていました。

そんな現実世界とは違うところで学んだことは?

私が一家の大黒柱

「男は女を守る者」「私が一家の大黒柱にならないといけない。」

そう自然にずっと思っているんですけどね。

それとは裏腹に人生が変わっていった話を、これから話していきます。

成人してからの私

父親を早くに病気で亡くし、女だけの家族で育った私は、

高校を卒業したら早く働いて、「親孝行」しようと思っていた。

その当時、家電製品を分解して構造を調べる興味のあった電気のおかげで、高校受験は迷わずに工業高校の電気科の進路に進みそれを卒業してプログラマーの会社に就職できた。

ここまでが、普通の一般的な幼少の頃や、青年時代にになるのでしょうか?

1つ目のターニングポイント

働き出して1年が経った頃に、中学生時代からの同級生の友人から、「久しぶりに会いたい」と突然の連絡がありました。

これが私の、1つ目のターニングポイントとなったきっかけです。

かれこれ5年間。

その当時を共に過ごした人たちとは、今でも普通に一般庶民として友人・知人としてのお付き合いはあります。

その当時、お世話になったと言うのか?

一緒に仕事をしながら、楽しく一緒に過ごしたりしていたら、私の性格の基本がこの5年間で出来上がったと思います。

元々持っていたもっていた陽気な性格を引出してもらえたのがこの時期だったのかな?

まぁ~、良くも?悪くも?今思えば良い経験でした。

自分勝手

だけど?

せっかく新入社員でプログラマーを目指して入社した会社も、1年半ほど働き上手く行っていたのですが、母親には何の相談も無く、勝手に辞めてしまい。

その中学生の同級生の人たちと仕事をすることにしました。

営業職

まさか?

プログラマーを目指していた私が、営業の仕事をするとは思いませんでした。

色んな商品を、その5年間で売り歩きました。

そのおかげで、「人見知り」という性格が薄くなり?

のちのち独立して起業するのに役にたちました。

そして人生の下り坂へ

この頃には 電気工事の仕事をしていて、独立を決めて個人事業主として仕事をしましたが?

失敗ばかりを繰り返し、多額の借金をして最終的には5年で自己破産の経験までしてしまいした。

その後は工務店 や、不動産の社長に雇われ。建築や不動産業の知識を学ばせて頂きましたが、色々あって社長たちのもとを離れた時。

今度は、あの20代前半の頃に一緒だった宗教家の方とリフォーム会社を立ち上げ ることになり、またも個人事業主になる事になりました。

これで、成功できると再起を賭けていましたが?

20代後半から30代・40代前半に染み付いた悪い習慣が結局、2度目の自己破産になりま した。

どこが親孝行な人生なのか?母親にも、身内にもいまだに迷惑をかけ続けています。

私は今年50歳で独身。

姉も、妹も結婚し、母親に、それぞれの孫たち5人と一緒に過ごせているのに。

一家の 大国柱になると思っていた私だけが、結婚もせず。

子供もできず。

何も親孝行できていない状態です。

だけどもう一度頑張る

だけど今年50歳になり、まだ人生30年あると思える様になった時に、

ある人との出会いをきっかけに、その人と数日会話をしていくなかで、

まだまだ、諦めることなく、今年75歳になる母親が生きてる間に親孝行がしたいと思い。

そう思える様になった時に。

私の人生ブログを立ち上げてみました。

今回は、ここまでにして。

次回からは続きをお話していきたいと思います。

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