右脳の被殻出血
あと5分遅ければ難しかったとも言われたそうです。
私の頭の右側には、直径15センチほど頭蓋骨を開腹した痕が触れば解ります。
あとスポーツ刈りや坊主にしても解りますよ(笑)
8年が経とうとしている今では笑い話です。
あの時
たまたまトイレに行こうと起き上がりかけた時に。
左腕に力が入らず。
起き上がれない!?
「え?これってヤバイの。」
それまでに、色んな医学のテレビ番組を観ていた知識で?
直ぐに救急車を呼ぶことができました。
その当時、100キロを超えていた私を4人がかりで救急隊の人が救急車に乗せてくれて、
車が走り出して数分後に意識を無くしました。
あれから?
気が付くと?
最初に見えたのは白い病室の天井。
その次に見えたのは母親と、姉の姿でした。
そして、姉がこう言いました。
「左の身体がが動かへんからな。」
( ;´-`)。oO(ぇ・・・)?
「何を言ってるの?」
そう思いながらも自分自身では解っていませんでした。
普通に話せてるし。
普通に見えてるし。
食事もできてるし。
ただ、ベッドでトイレに行かなくても大丈夫だな~?
そう思っていたのは?
「肺気胸」でも入院した時に差し込まれていたカテーテルのおかげ。
ベッドも背もたれが自動だったし。
そんな意識がもうろうとしながら1日?2日?が経った頃にカテーテルが抜かれ。
その日から看護師さんの尿瓶へ。
そして意識が戻ってから?
初めてのリハビリへ。
いや?違うよ。
手術後に、集中治療室ICUに1週間ほど居たらしい。
その後に、個室の一般病棟に移されて1週間ほどで、やっと普通に意識が戻り始めたらしい。
私の意識化には全く無く。
ICUでも、個室でも奇声や暴言を看護師さんたちに無意識化で吐いていたそうです。
脳卒中患者の早期のリハビリ急性期間にも、同様にわがままを言ってはリハビリを、
無意識化で拒んでいたそうです。
(;^_^A アセアセ・・・
そう言われれば?
薄っすら記憶が蘇ってくるもんですね?
何となく見えた風景が脳裏に思い浮かんできました。
それから1カ月の入院生活
その後の、経過診察。
MRやレントゲン。
回復期のリハビリなどをする入院生活の間に、身内や、親族、会社の社長や同僚、協力会社などの社長たち、知人や友人も面会に来てくれました。
皆さんが本当に心配してくれて、感謝しています。
手術をして頂いた執刀医の先生。看護師やリハビリの先生たちには本当のお世話になりました。
1カ月の入院生活を終えて安定してきた段階で、生まれ育った地元のリハビリ専門の病院へ転院することになったのが、10月10日でした。
転院した先の病院でリハビリをしている間に、私が住める新居のワンルームマンションを契約してもらい。手すりなどの介護設備も準備してもらっていました。
実家は築50年近い連棟長屋、トイレは昔の汲み取り式。ベットなど置けるスペースも無かったので、一人暮らしの母親と一緒に住むことも出来なかった。
その辺りを考慮してエレベーターのある、介護用にプチリフォーム可能な実家から近い賃貸マンションに一人暮らしをすることになりました。
そしてこの続きは、また次回に。