7年目の左半身麻痺生活

コロナ過でしたが。

2021年9月6日が来て、丸6年が経ちました。

そして、7年目の右脳の被殻出血で、左半身麻痺生活が始まりました。

この7年目もコロナ過となり、ますますデイサービスに行くことが出来ず。

さらに外出も厳しくなりました。

私も・・・?

そうこう言っていた3月には私も、行きつけのお店の店主からの連絡で急遽コロナの検査に行くと陰性でした。

1週間の自宅待機となりましたが、無症状で安定していたので4日で外出許可が出ました。

その後も在宅ワークと、自主リハビリの日々でした。

4度目のてんかん発作

その年の4月に会社に行った時に、人生4度目の「てんかん発作」を経験しました。

その日は、何だか朝からフワフワした気分でした。

案の定、仕事をしていると左半身がおかしく?震え始めると気を失っていました。

その時もたまたま、その日から来ることになっていた事務員さんが居てくれたので救急車を呼んでくれました。

気が付くと病院で点滴をうってもらっていました。

今回は社長が自宅まで送ってくれました。

この時くらいから?

「てんかん」について調べましたが、私の場合は「後天性のてんかん」なので、

手術で脳を開腹手術して大量の血を14時間かけて取り除いてくれたそうです。

その時の後遺症で、「てんかん発作を起こすかもしれない?」

そう言われて、「リザベン」という薬を毎日朝・夕の2回飲み続けています。

最初の頃は、この薬を飲んだり飲まなかったり?飲み過ぎたり?

そんな飲み方をしていたので「てんかん発作」を起こしていたようでした。

左のこめかみ

左のこめかみが痛くて触ってみるとこぶの様になっていたのは、その時倒れた「てんかん発作」で、無意識に机で頭を打っていたようです。(笑)

それまで、「取引先も大きいので、会社的にも障害者を雇っておいた方が良い。」

そう社長が言っていましたが?

解雇でしょ?

コロナ過で出勤できず、左半身麻痺もなかなか治らず、在宅ワークしかできない私は?

現場主義の社長が雇うには限界が来たようで?

あー、言ってた社長の言葉が薄れて行きました。

給料が遅れる様になり、払われない月が三カ月になった時?

納得のいく話もしてもらえず?会うこともなく?

電話で私の方から辞めることをお伝えしました。

その年2021年9月、6年目を終える時に無職となりました。

そして7年目を迎える

それでも9月6日は訪れ、7年目に入りましたが。

これからは仕事もなくなり、リハビリに専念できると思っていましたが?

コロナの終息も見えず、デイサービスに行けない日々が続きました。

そして今年も迎える

やっと、私の振り返りの人生も2022年に追いついてきました。

長く続いたコロナ過も第6波で落ちくのかと思いましたが?

直ぐに第7派が広まったころには国内で数十万を超える感染者が出る様になっていました。

デイサービスに通えない代わりに?

2021年10月から自宅に来てもらえる「訪問リハビリ」に来てもらえる様になりました。

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