5年目の左半身麻痺生活

怪我に悩まされた日々。

そして、

2019年9月6日が来て丸4年が経ち、

5年目の左半身麻痺生活が始まった。

実家での4度目の年越しは、もう慣れてました。

義理の兄が大工の腕をいかして、廃材で私用のテーブルを作ってくれていたので楽に過ごせましたがトイレだけは狭くて大変です。(笑)

毎年、「今年で治す。」と言い続けて丸4年が経っていました。

通常のデイサービス半日利用では治るような気がしていなかったので、

近所の整形外科のリハビリも追加していましたが、それでも治る気がせず?

ネットで色々と調べて、どうすれば早く麻痺を治せるかと悩んでいましたが?

結論から言うと「この病気は、動かし続けるしかない。」

そういうことでした。

関西最大級!

そして、いつまでも下肢装具に頼らずに、外した状態で歩くには?

そう思ってる時に、関西最大級のリハビリ施設が堺市にある事を知り。

ケアマネージャーに話をして、そちらの施設に行くことにしました。

そこでは、どこにもなかったプールでのリハビリができました。

他にも、整体、マッサージ器、機械、その他色んな高齢者の為の施設が充実していました。

それでも送迎をしてくれる施設はここだけでした。

大幅な改善

この関西最大級のリハビリ施設に行けて、大幅に歩き方や身体の動きが変わり。

上半身の腕の動きもでてきました。

と言っても、元の動きの5%でもありませんでした。

あいかわらず感覚は鈍く。痛覚や温度差も鈍いままでした。

どれでも足りない。

それでも?

その施設の、下肢装具を外したプールでのリハビリに気分を良くして、調子にのって近所を「散歩リハビリ」だと思い、ウロウロし始めていました。

最初は、近所の病院通い「整形外科」へマッサージ、リハビリに。

「歯医者」へ3ヶ月に1度の定期検査。

「眼科」にも3ヶ月に1度行くようにしていました。

「皮膚科」「耳鼻科」は症状が出た時に。

「内科」には、月1の定期健診と1か月分の薬を貰いに行っていました。

しかし、病院通いだけではつまらないので?

このころからでした。

少し楽しみが欲しいな~。

そう思って、寄ったのが駅裏の立ち飲み屋さんでした。

このころになると?

壁にもたれたり、カウンターにもたれたりすればあう程度立っていることができましたので

立ち飲み屋で食事をするなら大丈夫と思いました。

何度か通っているうちに、私の身体を思って常連客の人が椅子を譲って暮れる様になりました。

ストレス発散

その立ち飲み屋さんで、たまに呑む事が「ストレス発散」になってきたのがこの5年目の始まりだったと思います。

「無事に家まで帰るのもリハビリだ。」

そう思ってリハビリに加え始めた頃に。

初めての転倒

初めて家で転倒してしまいました。

麻痺している左から転倒したらしく、痛みはありませんでしたが。

次の日に左手首が青ざめていました。

整形外科に行くと左手首にひびがはいっていました。

まぁ~、感覚の鈍い左手で良かったと思うしかありませんでしたが、

1週間ほどは家で大人しくしていました。

手首も治り。

仕事に行き始めた頃に。

「後天性てんかん発作」

会社で、二度目の「後天性てんかん発作」を起こしたのもこの年でした。

この時は、自分で「何か?おかしい?」

そう思える様になっていました。

左半身が震え始め、意識が遠くなるのを感じました。

たまたまい銀行員の人と話している時で良かった。

救急車を呼んでもらった時には意識はありませんでした。

目が覚めた時は病院で点滴を打ってもらったあとでした。

姉夫婦と母親が来てましたが、そのまま家に連れて帰ってもらいました。

社長たちは現場だったのですが、普段も私1人になる事が多く。

次、1人で倒れたらどうしようと思っていましたが・・・。

その後は開き直るしかありませんでした。

その後は脳卒中の病気に対する度胸がついた様です。

てんかんもそうですが、脳卒中もいつまた発症するか解らず?

主治医には「二、三年の内に再発しなければ大丈夫ですよ。」と言われていましたが、

毎年MRIは撮りに行っていました。

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