4年目
「てんかん発作」を起こしても、
2018年の9月6日が来て丸3年が経ち、4年目の左半身麻痺生活が始まった。
それでもリハビリは続けないといけないと思いつつ、
デイサービスに通いリハビリをして、 直ぐに出勤できる様になっていました。
そして久しぶりに、社長たちと食事に行き退院後初めてのでした。
病気をするまでは普通に食事に行けてました。
脳卒中の原因?
日頃の不摂生もあり?、夜勤ばかりの仕事?と、社長の無理強いのストレス?
これが脳出血の自業自得の原因ではないかと、私は思っています。
お医者様は誰に聞いてもハッキリとした原因は言いませんし、解らないと思います。
だけど私自身はそうではないかと思っています。
病気になった本人しかわからない?
まぁ~、この病気? 脳卒中後の後遺症等は、
そうなった本人にしか解らない痛みや苦しみがあります。
風邪や歯痛の様に、病院に行って直ぐに治るような病気だったら良いのに。
そう思うのは何も解っていなかった最初頃だけで。
この頃は、医者でもない他人に「あーでも。こーでも。」そう言われたら?
「何も知らないのに簡単に言わないで。」そういう気持ちで気分を害していました。
そして?
こう言われることが多くなってきます?
「同じ脳梗塞で脳卒中になった人は直ぐに戻って現場に来てるで。」 「いやいや違うよ。」と説明しようにも解ってもらえない。
当然なんですけどね。
本当になった人にしか解らないんです、長く後遺症を持った人の本当の気持ちは。
これが4年目の左半身麻痺生活でした。
なかなか思い通りに治らない。
リハビリ生活に、少し苛立ちが有ったのがこの4年目になると思います。
週に3~4日仕事に、奈良まで電車を乗り換えて行っていました。
普通の生活基準に戻していくのも?生活リハビリだと言われ始め。
電車に乗ったり。近場の家から駅までは左手で傘を持ったりして歩いたり。
会社側の最寄駅から、会社まで30分かけて歩いたり。
リハビリだと思って頑張ったりして歩き過ぎると?
怪我をしたりして会社に行けなくなったり。
リハビリにも行けなくなったりしました。
下肢装具は鉄製
根本的に麻痺した左足に履いている「下肢装具」は鉄製でした。
その当時の体重も100キロを超えており、
麻痺したこの巨体を、2本の鉄支柱で支えてると思うと無理があるのです。
この時左足の麻痺はだいぶ歩ける様に迄回復?しているようでした。
たぶん筋力は有ったんだと思います。
だけど感覚は鈍く、痛覚も鈍い。
足裏が地面にちゃんと着いてるのかも解らず?
何となくの感じで歩いてました。
そんな感じで歩いていると?
左足が痛くなり?何が痛いのかも解らず?
整形外科に行くと踝の皮が捲れ、生傷になって流血していました。
繰り返されます。
ここから、ずっとその左足踝のケガが繰り返されることになります。
まず?痛覚が鈍くここまで酷くなるまで気づかないことに驚きました。
そして、その傷口が左半身麻痺なので、左足の自由が効かず?
左足のくるぶし側をのぞき込もうとしても足を右側に捻れず?
身体を左側に捻ることが出来ないので踝の傷を見ることができませんでした。
のちのち鏡を使い観ることが出来た時には何度目かの?
踝の皮が捲れた時でした。